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寿司にまつわる意外な歴史特集


寿司にまつわる意外な歴史

寿司の起源

寿司の発祥は紀元前5世紀から3世紀ごろの古代中国にある。魚を塩漬けにした塩辛のような食べ物が「鮨(し)」、また塩と米に魚を漬け込んだ食べ物が「鮓(さ)」と書物で紹介されている。「鮨」も「鮓」も魚の保存を目的とした調理法のことで、熟成させることにより独特の酸味が生まれる、いまでいう「なれ寿司」の原型である。

三国時代以降に中国に広く浸透していったこの食べ物は、その多くはフナなどの淡水魚が用いられた。やがて稲作技術とともに渡来人によって日本に持ち込まれることになる。

平安期以降の文献では、各書で「鮨」という言葉が登場。諸外国との貿易が盛んになった安土桃山時代以降は日本の食生活にも大きな変化が表れ、長期にわたり漬け込まなければならないなれ寿司にとって代わり、2週間ほどの熟成でも米と一緒に食べられる「生成(なまなれ)」が登場した。そこからさらに発展し、箱に詰めた酢飯の上に魚介を並べて押し蓋をする「押し寿司」、それを切り出したものに笹や柿の葉を巻いた「笹寿司」、「柿の葉寿司」がある。それらをもとに考案されたのが「握り寿司」だ。

握り寿司は、1800年ごろの江戸時代、花屋興兵衛がおにぎりに煮魚の切り身をのせたのが発端となった。当時の江戸は、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があったほど火事と喧嘩が絶えなかった。火事になると家が全焼してしまうため、家をなくした人たちにおにぎりを握って持っていったのがきっかけだった。いつしかそのおにぎりを小さくして、東京湾で獲れた新鮮な魚の切り身をのせるようになった。目新しさから大流行となった握り寿司は、そうして瞬く間に江戸の街を席巻するのであった。

庶民の娯楽は寄席で寿司

遊びの少なかった当時の娯楽は寄席が流行していた。寄席に握り寿司を弁当として持っていったのが出前のはじまり。当時の寿司屋は、そのように商売していた。しかし、それは昼間だけ。夜も商売しないと成り立たないので、あまった魚で夜に屋台で営業するようになった。屋台を引きながら、人の集まるところへ移動していた。当時の屋台は立ち食いが主流。2〜3個つまむだけの軽い食事で、これが庶民にとても愛された。

北海道はというと、いち早く異文化との交流を進めていた函館、松前、江差、小樽では江戸時代末期から握り寿司はすでに知られるところだった。札幌で最初に寿司店として暖簾を掲げたのは、1875年(明治8年)の「東壽司」だ。東京生まれの初代竹原定吉が、故郷から「東」の字をもらって名付けた。屯田兵入植や札幌農学校(現北海道大学)の移転と同年に、北の都で本場の江戸前を広めたいと店を開いた。創業当初は中央区南3西1で南2西2を経て、のちにススキノへ移る。屋号を「東寿し」に変え、2016年(平成28年)に創業141年の歴史に幕を閉じた。

地域の海が育んだ恵み

日本は島国だ。北は北海道から南は沖縄の島々まで南北に広く連なる列島である。当然陸上の気候でも北海道の亜寒帯から沖縄の亜熱帯までさまざまな気候が広がっている。これは海も同じで、北海道で水揚げされる魚と、沖縄で水揚げされる魚では、マグロやカツオなどの回遊性の一部の魚を除いてまったく異なっている。沖縄・那覇公設市場に行けば本州の市場ではみられない赤や青、緑の色とりどりの魚が並んでいる。また、北海道・札幌、函館、釧路の卸売市場に行けば、クロソイや八角など黒みがかった魚が並ぶ、色の放つものはカニ、エビぐらいだ。

寿司の基本はいかにして魚を本来の味で楽しむかということ。近くの港で揚がった魚を朝仕入れ、その日のうちに客に出す。それが寿司屋の理想。かつての江戸前が、東京湾でその日獲れた魚をネタに寿司を握ったように、その土地その海に季節の味がある。それを寿司として味わうことが大切だろう。

参考文献
水谷修+鈴木一人「魚道 海の四季」(海竜社)
「The Basic of SUSHI」(FOOD DICTIONARY)
日比野光敏「だれも語らなかったすしの世界」(旭屋出版)
「すし語辞典」(誠文堂新光社)

寿司用語集

  • シャリ

    寿司屋で「シャリ」とは、寿司飯のこと。語源はサンスクリット語で米を意味する「sari」から由来しているという説や、僧侶がご飯のことをシャリと呼んでいた、お釈迦様の遺骨「仏舎利(ぶっしゃり)」が真っ白な米粒に似ていたことから由来しているという説などがある。

  • 握り寿司を数えるときの単位。また、明治まで使われていた尺貫法という日本古来の測定法における質量の単位。現代では寿司を数える単位として貫を使用するのが一般的だが、実はいつから使われるようになっsたのかは不明で、諸説あるものの結論が出ていない。江戸前寿司が販売されるようになった時代の寿司1個の値段が貨幣1貫分であったという説、一文銭100枚を紐で束ねたものを「百文差」、「一緡」と呼び、これが寿司1個の値段という説などがあるが確たる証拠はない。

  • あがり

    「お茶」のこと。元々遊郭の言葉で「上がり花(あがりばな)」の略。「お茶を挽く」という言葉が客のつかない遊女や芸者が暇を持て余していることを意味するため、「お茶」を忌み嫌い、「客があがる(遊ぶ)」という縁起を担いで「あがり」というようになった。

  • むらさき

    「醤油」のこと。この語源にも諸説あり、当時の紫色は現代と異なり赤みをおびていたため醤油を「むらさき」と呼んだ。もう1つはイメージに関する説で、昔の醤油は非常に高価だった。「紫」は高貴な色で、貴重な物を表すのに使われた。

  • なみだ

    ワサビのことで、食べると涙が出るため。鼻から息を吸ってから寿司を口の中に入れたり、鼻から吸って口から吐くを繰り返すと、刺激を避けることができる。ワサビは、抗菌作用や食欲増進効果があり、寿司には欠かせない。

  • 立ち

    寿司屋では、カウンターで寿司を食べることを「立ち」という。立ち食い寿司はもちろん、カウンターのイスに座っていても「立ち」。立ち食いだったころの名残で現在でもカウンターで座って食べることも「立ち」という。

  • ぎょく

    寿司屋の専門用語で玉子焼きのことを、玉子の玉を音読みして「ぎょく」という。また、寿司屋の玉子焼きのうちエビや魚のすり身が含まれた薄焼き玉子のことを「ケラ」、「ケラ玉」とも呼ぶ。銅製の四角い専用フライパンは「ケラ鍋」。ハングルで玉子は「ケラン」。

  • 光り物

    背が青くて腹の部分が白く光っている魚のこと。代表的なコハダ、サバ、アジに加え、サヨリ、キスなども含まれる。鮮度の低下が早いため、酢でしめて防いでいる。微妙な加減が必要なので、光り物を食べれば、その店の職人の腕がわかるといわれる。

  • ヅケ

    魚をヅケ醤油に漬けたもの、およびヅケ醤油に漬けたネタで握った寿司。マグロが最も一般的なネタで、マグロの握りが登場した当時、マグロはヅケで食べるものだった。ヅケに使う醤油は、醤油、酒、みりん、カツオ節などでつくった煮切り醤油だ。

  • 炙り

    ネタを炙ると、生とは違った味わいになる。回転寿司ではサバ、サーモンの炙りが一般的。キンキ、イカ、貝類なども炙って塩や柑橘をのせたりもする。握ってからガスバーナーで炙ったり、七輪で炙ったネタを握る店もある。

  • 手ざく

    人差し指から小指までの長さを定規代わりに使って冊(さく)を切り出すこと、もしくは長さのこと。寿司ネタの標準的な長さは7.5cmほどで、個人差はあるが男性の職人であればちょうどこのくらい。

  • 兄貴

    寿司屋で「兄貴」とは、先に使用する食材や古い食材のこと。「さばいてから時間が経過している」という意味もあり、兄貴は古いネタ、弟は新しいネタを指す。職人の間で勢力があり、頭(かしら)に推される者という意味ではない。

 

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